脳男
1.映画
公開の次の日に見に行ってきたけど、かなりバイオレンスでした。R指定じゃないみたいやけど、大丈夫なのか。小説を後で読んだけど、趣旨が全然違ってますね。小説ではアクションなんてまったくないし、【脳男のような人間がどのようにして誕生したのか】や【脳男のような人間が本当に生存できるのか】など脳科学・心理学的な理論がある程度盛り込まれています。個人的には小説のほうがおもしろいと思います。続編もありますし。まだ読んでないけど。
2.小説
小説の展開としては単純ですが、鈴木一郎という生まれつき感情を持たない人間が、【どのような】自我を【いかに】形成したのかという点については非常に興味深い内容でした。特に情動と知能の関係についてです。
通常はある一連の事象を断片的に見せられたとき、その断片の間にある経過を推測して一つの物語を連想することができます。例えば、「ボール」と「窓」と「硝子が割れた窓」の絵をそれぞれ見せられたとき、「ボールが窓に当たって硝子が割れた」と連想できます。こういった原因と結果を無意識的に結びつける特性のことを【情動】と言うらしいです。人間の脳のすごいところは、この因果関係をコンピュータのように頭(処理)をフル回転して導きだしているわけではないとう点です。しかしこの情動が欠落している人間は、まさにフル回転させる必要があります。そこで必要なのが【情報】です。それも天文学的な容量のです。おそらくその絵を見せられたときの部屋の気温や湿度といった、一見まったく関係のない情報も含まれていると思います。情報の因果関係がわからないので片っ端から収集する必要があるのです。そしてこれらの情報を記憶し、過去のデータと照合し、解析するための【知能】が必要です。脳男の知能が異常に高いのはそのためだそうです。
また以下の2つの内容もなるほど、と思いました。
人間の場合なら、わたしという自我をひとつにまとめている力が感情だといえるわ。大半の人間が。おれがおれでありつづけているのは感情などという低級なもののせいではなく、難解な思想や気高い信念をもつからこそだと思いたがるけど、思想も信念もただの言葉よ。
確かに思想や信念って、後からとってつけた理屈みたいなものだなと思いました。
聴覚、視覚、触覚など五感からの情報は信じがたい速さで移り変わり流れ去っていくわ。それをひとつにまとめあげ、意味のあるものにしているのが自我というものよ。自我がどうやって形成されるかについてはだれにも正確なことはいえない。赤ちゃんの欲求と親の躾の葛藤の過程で徐々に形作られて行く。それくらいの説明がせいぜいというところ。
自分の自我について考えているうちに、いつから記憶があるかを思い出そうとしましたが、全然だめでした。人間の記憶は自我の軌跡みたいなもので、それを「忘れる」というのは自分が少し無くなっていってる感じがしました。
そして最後。内容が少し違いますが、映画でも松雪泰子が熱弁しています。
悪人を見つけては片っ端から殺していくつもりなの。殺人犯や爆弾犯、詐欺師や窃盗犯も殺すの。ほかにはだれを殺すつもり。煙草の投げ捨てをした歩行者はどう、信号無視のドライバーはどうなの。やはり彼らも殺すの。あなたは並外れた頭脳をもっているけれど、それでも神ではない。善悪の基準を勝手につくって審判を下す権利などないのよ。そんなことはどんな人間にも許されていない。
よく聞く内容ではありますが、この小説(映画)の中ではこの台詞は非常に深いものがあると感じています。脳男という自我は、彼が経験した人間社会を情報化し分析してできた産物であり、彼の持つ善悪もまたそこから生まれたものです。
そして彼もその善悪について迷いを持っています(ということになっている)。【善悪はあるのか】という問いに対しては、いろんな意見があると思いますが、この小説では「脳男という擬人化コンピュータのような人間でも、善悪の真実に辿り着く事はできない」という結論に至るように思います。ただ続編があるので、結論は変わるかもしれません。
脳男に、【それは真実ではない】と言えるくらいの虚構(自我)が欲しいものです。